イラストレータ ニャン イラスト展示活動中

2015/02/23

毛皮のストール、一生大切にします。




 
オシャレ雑誌など読みはじめのころ。いつものようにページをめくると、一枚の紙がぺらりと落ちました。そこには、謝罪の文章がかかれていました。

「私たちの雑誌は、エコや、動物愛護をこころがけて発行しておりますが、先月号において、毛皮のストールの写真を掲載しましたことを読者様からご指摘いただきました。深くお詫びなんちゃら。」

そうか。毛皮って、動物愛護とは相容れないところに位置づけされるアイテムなんだ。ではではニャンも極力毛皮のアイテムは購入しないように気をつけよう、そうしよう。

それからしばらくしてやってきたクリスマス。母親から、たいそう豪華な包装紙のプレゼントをもらいました。入っていたのはキツネの毛皮のストール。

もちろん、前述の雑誌のことを思い出しました。毛皮、動物愛護、プレゼント…。

たいへん奮発してくれたであろう母親は、ニャンがちょっとしたダンスでも舞って歌など口ずさみ感謝感激をあらわすのを笑顔で待っています。

そこからほんの瞬間ですが、ニャンの問答がはじまり、普段あまり使わないアタマをグルグルと回転させました。

そして出した答えは、笑顔で「ありがとう」でした。

寒いあいだ、毎日使おう。
母親に、これは良い品物で大変暖かく重宝していると折々に伝えよう。

このキツネさんと、一生の冬をともにするのだと、覚悟したのです。



ニャンは、そもそも毛皮の製品がどのような工程を経て作られているのかを知りません。このブログを書くにあたって調べましょうという気持ちになりましたが、正直怖くてできていません。
稲をかり、グルグル回る脱穀機で遊び、庭でもち米を薪で炊き、きねうすでもちが出来上がるのをみていたニャンですが。
乳牛ではない牛さんの出産を目の前でむかえお祝いし、後にドナドナされるのを目の当たりにしたニャンですが。

だから、それをそっと「とても大切なプレゼント」という引き出しにちょうどよくおさめ、「日々使う」ということで色んな帳尻を合わせてなんとかしのいでいるのです。


そんなこんなですが、良い品です。あたたかく、本当に重宝しております。お母さんありがとね。おばあになってもつかうからね。今年もそろそろメンテナンスしてないないする季節をむかえました。





2015/02/20

ふさぎこんでいるあの子へ。

ただ、酔うような音楽を楽しみ、美しい作品に心奪われて、自分もと志してみれば、世界は一変する。
誰かに恋をするのも同じで。

感動をもらった方へ、恩返しをしたい。その気持ちは充分すぎるほど力になる。

2015/02/17

美味しくいただくというだけのこと。



とある田舎で幼少を過ごしたとお話しましたが、とても食べ物の美味しいところです。

なかでも、車で少し行ったところに気に入っている漁港があり、よく賑わっていて楽しいです。

元気の良いおじさんが、おねえちゃん食べてきなよ、と声をかける。

発泡スチロールを何箱もかかえた家族連れが嬉しそうに歩いている。

まだ生きているような魚がピカピカと光り並んでいる。

それもこれも、たとえばあの元気の良いおじさんたちがまだ暗い朝のあけないうちに海へ出て、働いてきた証。

スーパーでは産地を明記して、ある地域の食品を避ける方がたくさんいると思います。

もし私に子供がいたら、私も避けるのかもしれない。

水が冷たいなぁ、風か身体を冷やすなぁと、船上で一仕事したあのおじさんの笑顔がまた見たくて、あの港町が賑わっていてほしくて、ただそれだけで、私は一消費者になろうと思うのです。

お魚さんの大切ないのちをいただくということ。

誰かのその日の努力を受け止めるということ。

ただ、私は、いただきますと言って美味しくいただくというだけのこと。

今日もスーパーへ言って、牡蠣鍋なんていいかしらなどと献立を考える。

そこになにも懸念などなく、あたたかいばんごはん、という答えだけがあれば良いのに。

今晩はなにをいただこうかな。




2015/02/14

大阪アートアンド手作りバザール 2015/3/7-3/8

大阪アートアンド手作りバザール 2015/3/7-3/8に参加いたします!!


http://www.tv-osaka.co.jp/event/makingbazaar/


入口担当となる今回…。

どんな風になるのかハラハラドキドキでございます!

みなさま遊びにきてね〜(^∇^)❤️


MS-43


です🎵




2015/02/10

大切なご家族宛に、会社が「お手紙」を書く文化。



社内報の制作をお任せいただいていた時のお話。

社内報とはなんぞや。
Wikipedia

例えば、会社がじぶんとこの職場ってこんなんしてますねん、社員さんにこんなひといてますねん、といったお知らせをタブロイド紙などに印刷して無料で社内で配布する新聞みたいなものです。
最近は紙媒体ではなくWEBを利用したものもあるみたいですね。

創業が明治時代の歴史ある某企業の月刊社内報を制作発行などお任せいただいていたことがありました。

社長さんはじめ役員さんや社員さんの写真撮影や、地方の工場への出張取材、新製品の紹介、社員さんにコラムの依頼をしたりと、毎月会社のニュースを耳をダンボにしてウワサを聞いて回るのに忙しくしていました。



ある日、会ってもらいたい人がいるから、と呼び出されました。

お約束のお部屋へお邪魔すると、いつも社内報制作にご協力してくださっている社員さんが待ってたよ、と笑顔で迎えてくれて、紹介するね、と見知らぬ紳士と会わせてくださいました。

その紳士は居なれた存在感で、質感の良いソファにゆるりと腰掛けてまわりを見渡しここも変わったね、なんて懐かしそうにしています。

この方はね、君の何代も前の社内報制作を担当されてたOBなんだよ。

それはそれは、と少し驚き簡単なご挨拶をすますと早速、OBさんの昔話が始まり、大変興味深く思い、うなずきながら聞き入っていました。



高度経済成長期、日本企業の多くは自社製品の大量生産が求められ、各地に大型の工場が乱立しました。
もちろん、そこで働く人手も山のように求められ、各社の人事部は人材確保に奔走されたそうです。

近場の若者は大手企業にすっかりもってかれてしまってね。まだ、土着の文化が根強く残る北海道まででかけてね。やっとの思いで女の子を一人、工員として迎えることができたんだ。

その女の子が大阪の工場へと旅立つ日、生まれ育った集落では大いなる門出を祝う大行列ができたそうです。
まるでお嫁に行くかのように、どうやって運ぶのかと言うほどのたくさんのお祝いものを荷車いっぱいに引き連れて、きっと家族は泣いたのでしょう。女の子も泣いたのか、笑顔だったのか、とにかくえらい騒ぎとなったそうです。


そんな彼女のような工員さんや、工員さんのご家族宛に、会社がいまどんな風なのかお知らせするのが、社内報の役割でした。



いたるところでコストカットの今の時代。私の関わらせて頂いていた社内報は、現代でいうところの、なにになるのでしょう。

カラー化しながらも季刊発行にかえ、ページ数を増やしてサイズダウン。そしてオンデマンド印刷へ。かなりコストカットには尽力しましたが、私の手を離れたあの社内報は、今どうなっているのでしょうか。

届くのを心待ちにしてくれている人がいると、きっと記事を書く人も、デザインする人も、印刷する人も、みんな嬉しい。そういうものづくりが世の中いっぱいに広がっているといいのに。




2015/02/04

「阿倍野」がまだ「天王寺」だったころのお話。

デザインとイラストのお仕事が両方できると言ってまわっていると、デザインも、イラストも、どちらもお仕事がいただけるものなのです。ありがたいことです。

今日のような活動をストリートアートからはじめたニャンですが、いつのまにか世の中のすみっこで、憧れていたイラストレーター、という職業についています。




高校の先輩が大阪天王寺の路上でポストカードを作って売っているらしい。

そんな噂話が学校で広まり、好奇心に火をつけられたニャンは、先輩から受け取った一枚のイラストをながめ、私もと、ハガキに描いた今で言う原画を数枚と、適当なテーブルクロスのような布を持って、天王寺の路上でデビューしたのです。

まわりにはアコースティックギターで歌い小銭をもらうお兄さんたちがいっぱい。
夜もふけてくると、ダンボールを住処とするおじさんたちが場所をとりに集まってくる。
楽しい仲間もでき、騒がしくおしゃべりしていると、鉄道警察のおじさんが、お嬢ちゃん、そろそろね、帰ろうか。さ、片付けてね、とうながしてくる。

あの時、たくさんの夢をみていました。

それよりももっと大きくて、私の邪魔をしていたもの、それは「不安」。


ある時、路上でいつものようにポストカードを並べていると、風が強く吹いて容赦無く飛ばしてしまいました。
またある時は、酔っ払いがどうどうとイラストを踏んで歩きました。
またある時は、歌うたいのお兄ちゃんに看板の制作を依頼されました。
またある時は、なぜか知らない人に1000円もらいました。

そして、ある日。

君のイラストは素晴らしい。今度、僕の企画する展示会に参加してくれないか。そう言われて、なんだかよくわからない事務所に連れられて、サイズはこのくらい、額をつけて、会場は天王寺MIOの催し物会場で、価格は好きにつけなさい、など、話が進み、ただ、日に数百円を手に入れて、それでコーラを買ってみんなと話していれば満足だったニャンに、大人の世界が介入してきたのです。

企画、価格、展示…

知らない、よくわからない、誰か、これが何なのか教えてください。そう思いました。

怖くなったニャンは、カンタンな道を選んだのです。

逃げました。

それ以来、路上で遊ぶのもやめて、なんとなく友達だったみんなとも会わなくなって、なんの変化もなく時が過ぎました。


あの時、声をかけてくれた大人、ありがとう、ほんでごめん。と今は思います。

表現をすることと、そのリアクションを受け止めることは、同じくらい良くも悪くもストレスを伴います。

ちなみにニャンの路上での活動はNHKさんにあるきっかけで取材していただき放送され、記録に残っています。

誰にみせるものでもないけれど、父親だけは大切にしているみたいですね。